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阪神大震災から17年 [震災の風景その2]

阪神淡路大震災から17年、早いものだ。いずれの時代も大きな閉塞感が漂っているが、20世紀末の当時と、21世紀初頭に近く起こった東日本大震災後の今、何が違うのだろうか。

震災の象徴的な風景は、阪神淡路では阪神高速道路やビルの倒壊と密集した市街地の火災であった。
南北500kmに及ぶ被災を生じた東日本では津波によって陸地深く運ばれた船であり、破壊された堤防であり、流された沿岸の市街地であった。液状化も深刻だった。そしてそれに長く尾を引く、現在進行形の福島原発の爆発事故が加わった。

阪神淡路の際は、都市災害であり、元住んでいた場に戻る上での復旧は当然であり、その先の復興の姿が現代都市の中で、右肩上がりの発想のもとで語られていた。
東日本にあっては、沿岸部の漁業・農業の被災が主であり、復旧の議論よりも例えば高台の新たな土地のもとでの復興が取り上げられ、人口減少下の限界都市の想定もしながら減災の姿を描く必要が生じている。そして、福島原発の周囲では放射能の影響で居住することができない広大な地域を抱えている。東日本では、元に戻ることは必ずしも答えではないのだ。

社会不安を反映したオウム問題も同時に生じた17年前、バブル崩壊の爪あとが残り、日本で失われた10年の不況期に突入していた。世界では、90年前後のソ連・東欧崩壊、ベルリンの壁が終焉し、EU統合が準備され、地球環境問題がグローバルな課題であった。
今日は新自由主義下で生じた、サブプライム問題、リーマンショック後の世界同時不況が進行し、EU危機が叫ばれている。グローバル経済は現在の方が遥かに厳しく、アメリカ一極の構造が失われつつある。中国がGDP2位の地位を日本から奪い、IT革命を背景にしたアラブの春が伝えられ、地球温暖化も深刻化している。日本では、平成不況から脱することができず、人口減少時代が始まり、格差社会が進行し、就職氷河期の終わりが見えない。

戦後50年目であり、不況とはいえ、平等幻想が未だ多少残っていた、経済が世界二位であった17年前に比べて、50年前の昭和30年代の高度成長期が懐かしさをもって語られ、格差社会のもとで貧困層が切り捨てられ、中国に経済規模に引けをとることになった今日、未来に向けた夢が語られることが少なくなったように感じる。
それは、様々なことをやり残していた50歳のときと、高齢者の仲間入りをし、人に馴染むことを難しくしている私自身の比較のせいだけではないだろう。
超高齢化し、人口減少する時代、時代も成熟期を経て縮退期へ、拡大した都市や街をしまう時代への移行において、活性化といった右肩上がりの発想から脱し、一歩一歩階段を下りてゆくにはどうしたらよいのかという今まで真剣に問うことをしなかった課題に向き合うことになったようだ。

繰り返す思い [震災の風景その2]

被災地域の復興計画が続々と作られている。
3.11に襲った津波被害から将来の生活を守るため、背後の山を造成する高台の整備、巨大な防潮堤、地盤の嵩上げ、移転先の土地区画整理事業、高規格な三陸縦断道路など、巨費を伴う土木事業が採択された復興計画に膨大な予算がつく。
もっと地道な計画もあるのだろうが、ニュース価値が高いのは、そのような常時には絵空事として振り向きもされなかったはずの巨大事業である。

来年度予算において、コンクリートから人への旗印の下、一度止まったはずの八つ場ダム、外環、整備新幹線の事業予算も盛り込まれ、税収に倍する予算額が計上された。
公務員の給与のカット、議員定数の削減もないまま、必要な事業を上乗せしていけば、間違いなく膨大な歳出超に陥る。そして、少子化や積立金の目減りにより、現役世代が高齢者を支える年金制度も危機に陥ると指摘されている。
財務省が画策する消費税アップは、野田内閣以外の皆がしり込みし、潰える可能性がないとも言えない。政策の基本が歳入の将来への先送りだった。GDPの倍を超える国の債務、日本は危機的な財政難ではなかったのかと、予算を見ていて嘆息する。このような選挙時のマニフェスト無視は、民主党三代目の野田内閣における官僚政治の復活のせいだとの評論も多く聞こえる。

過疎地の多くの集落が消失してゆく可能性をもつ人口減少の時代、個人は勿論、地方でも賄えない、国の投資に全てを委ねる復興計画は個人的には疑問符をつけざるを得ない。
千年後の三陸の姿が語られて初めて、千年に一度の災害に対応する具体の対策が議論されるはずなのに、千年に一度の災害に対する対策規模だけが所与の条件となる。
居住の基盤が如何に整えられても、残念ながら、漁業以外の産業に乏しい三陸の多くの集落は、少子高齢が極度に進み、50年の間に限界集落になり、消失する集落も出てくることだろう。被災地の復興は、高齢化が進み、空き室が増え、建て替えが困難となった初期ニュータウンと同様の課題を抱えることになる。復興に時間がかかれば、若い人たちは去っていく。
自立のためには自力復興しかないではないか、人の手の届く計画を目指す必要があると今更ながら思う。民主党政権になり、事業仕分けが注目されたが、費用対効果が問われない復興事業計画や大型事業の復活を見ると、あれは単なるパフォーマンスに過ぎなかったのかと思う。
復興の理念に、今日の経済の動態を背景にした枠組みの議論があってしかるべきだが、今まで聞こえてきた計画には必要な事業の積み上げのみが語られていた。
コミュニティが確保された質の良い仮設住宅であれば、そのまま公営の賃貸住宅にしてもよいのだ。そうすれば、自分たちの力でまちづくりを引き継ぐことができるだろうに・・。

そのなかでも何故か、復興ではなく、復旧すら覚束ない放射能汚染された福島に引き戻される。
誰一人死んでいない原発事故に何故こだわるのかという人が居るが、この事故に関して分からないことが多すぎる。東京でも、放射能の影響に気が滅入ることがある。除染したからといって放射能に心配なく生活できることにならない。
福島原発では、事故の実態に対して何の検証も加えられないまま、圧力容器が100度以下になっていることをもって、「冷温停止状態が続いており、当面の目標としていたセカンドステージに達したため、収束宣言する」など、政治的な思惑にもとづく判断が続く。核反応が不活性化する本来の収束に至るまで30~40年かかるといわれる。誰も口に出さないけど一定程度確信していること、事故を起こした敷地が最終処分場になるかもしれない。

居住を不許可とする50ミリシーベルトと、居住を許可する20ミリシーベルトを境界とする新たな線引きも空しい。20ミリシーベルト以下になれば、地元に戻れるというが、1ミリシーベルトを目標とする限り、放射能の高濃度汚染地域であり、除染必要地域であることは間違いない。
また厳しくなった内部被曝の基準では、汚染米が至る所で検出されることになるだろう。
環境回復とはどのような状況に回復することをさしているのだろう。長期にわたり戻れない地域で、土地は捨てられていく。将来のことを考えざるを得ない若い人の多くは戻ってこない。

原発について、稼動40年を目途に廃炉にしていくこととされた。
しかし、福島原発事故に伴って生じた、放射能汚染された廃棄物の処理のための中間貯蔵施設ですら、地元の反対で、どこに設置するか決まっていない。脱原発の流れは押しとめようもないが、原発の処理に欠かせない最終処分場をどこにするか決まっていない。実は世界において、未だに最終処分された原子力発電はないのだという事実に気が付く。
廃炉から最終処分に至るまでには、今までの造ることを一義とする方法とは異なった科学・技術を必要とするはずだ。核技術から人離れが進む時代に、処理を旨とする技術で人材が育っていくのだろうか。

碑文谷公園ニュース 新春号 [地域のこと]

 明けまして おめでとうございます 今年は穏やかな年でありますように

昨年は、3月11日に東日本で千年に一度の大震災がおき、同時に生じた福島の原発事故による放射能汚染の影響など、大混乱が続いた一年でした。被災の余りの大きさゆえか、自宅に戻れず避難されている地で正月を迎える方は30万人を超し、復興もままなりません。
年をとると、涙腺が緩くなってくるせいでしょうか、震災関連の報道を前に、涙している自分に気が付くこと度々でした。被災された方はさぞ大変だったことかと、今でも思い出すたびに心痛みます。できるだけ早い復興を祈る以外にありません。
昨年選ばれた漢字一文字は、絆でした。
震災の被災地だけではありません。持続可能な高齢社会のために、消費税が上りそうです。それは弱者に痛手を与えるものでもあります。こんな時こそ、人を受け止めるやさしさが必要です。友と出会える場が重要です。
碑文谷公園は、地域の拠点です。

1.こんな碑文谷公園です
元気なポニー、池を遊ぶ渡り鳥、見事な雪吊り、幟に映える厳島神社、遠く除夜の鐘を聞きながらの恒例の年越しの甘酒、皆さんいかがでしたか。年を越して、どんど焼き(火まつり大会)へと続きます。
グリーンクラブも頑張っています。花を植えると色が増えます。花盗人が出ませんように‥。
今まで、我がくらぶは、様々なことを話し合いながら、公園に関わってきました。
今後も、区やスポルテ目黒とハーモニーセンター、近隣の方々とともに、集い、安心でき、憩える場づくりをしていきたいと思っています。
今年の正月は、からからの天気でした。
碑文谷公園の冬は、渡り鳥の到来から始まります。そして江戸と金沢、二様の雪吊がお目見えし、厳島神社の幟旗が立つと冬の化粧の完成です。花壇では霜が降りています。
これからも、多様さが尊重され、繋がりを大切にした、平和な時が続きますように。

2.第12回桜フェスティバルは4月1日
「お花見と健康づくりと安心と」をテーマにした、多くの方々が集う桜フェスティバルは、我がくらぶと目黒区の共催のもとで、4月1日(日)に開催の予定です。
昨年は大震災のため、開催を自粛しましたが、寂しい思いをしました。皆さまの暖かい支援と、福祉やスポーツなどの団体、区や消防署、警察署などが協力・参加し、太鼓が鳴り響き、大道芸、参加型のスポーツに興ずる協働イベント、地域に欠かせないお祭りは矢張り必要です。
今年も桜の下でたくさんの方々が楽しんでくれることを願っています。
皆さんのご協力、宜しくお願いします。
当日が近づいたら、チラシをつくり、イベントの内容などをお知らせします。
3.放射線量などについて
碑文谷公園の放射線量に関しては、昨年の暮に測定しており、その結果は目黒区のホームページに掲載されています。
濃度は0.052~0.11μSV/hの範囲にあり、ややほっとしています。
寒い日が続きますが、皆さまお体に気をつけて、たまには公園でお会いしましょう。

暮に近い心象 [震災の風景その2]

昨年の冬、心身を病み、日常からの逃避生活を余儀なくされました。そんな私にあの凄まじい大津波の破壊力、東日本大震災の映像が飛び込んできたのは、どうにか日常への回帰を許されて三日目のことでした。そして、その衝撃から覚めやらぬ間に、福島第一原発の爆発が報道されました。二重の被災です。2万人近くの方が死者・行方不明者となり、震災から9ヶ月経っても、30万を超す方々が自宅に戻れずに居ます。

その個人的な理由もあるかも知れませんし、現役から離れたせいかも知れません。或いは、東北の地は、関西に比べて意識の上で遠かったせいかも知れませんし、焦点を絞るには広すぎたせいかも知れません。齢をとり高齢者の仲間入りをし、年金生活者になりました。そして、被災地には何の足がかりもありませんでした。16年前の阪神淡路のときと異なり、私の中で浮かぶイメージが貧困となり、感性が鈍り、言葉が枯渇していました。

少子高齢社会が進み、大幅な人口減少が続く地方都市や、このままでは限界集落への途を避けられない農山漁村が、大破した被災地での復興時の条件でした。しかも津波による被害から生命・財産を守るために、被災者は元住んでいた場所に戻ることはできないという、防災上の条件も付け加わりました。今回が千年に一度の規模の災害であっても、その規模に対抗できる安全設計が第一の条件となりました。観光や景観は二の次です。

その条件に合う復興計画は、巨額の復興事業を伴います。田老町の悲劇が示すように、津波を受け止めるには高さ10mの防潮堤では低いのです。高台移転であれ、防潮堤と土地の高盛土の組合せであれ、防災条件を満たす未来の絵は、地方の総力を挙げても届かない絵です。その計画は、初めから国家規模の復興事業であることが前提となっています。被災者が自前でできるまちづくりは、コミュニティ作りや産業の復旧です。

更に残酷な条件、現代が抱えてしまった災害が、原発事故による放射能汚染によって加わりました。メルトスルーした原発を廃炉するまで最低でも30~40年はかかる見通しですが、更に長引くことも危惧されます。その周辺では高濃度な汚染が続いている可能性が高そうです。このままでは、第一原発の場所が核燃料の最終処分場になりかねません。菅首相のときに脱原発が口の端に上りましたが、野田首相は原発輸出に色気たっぷりです。

この二次的な被災地では、地震や津波など、震災の直接的な被害がなかったのに、土地から離れざるを得なかった人々を生み出しました。今は人一人いない飯館村の農村風景は美しいものでした。放射線で汚染された警戒区域、計画的避難区域では、住民は避難を余儀なくされました。同じ被災地であっても、原発事故による被災地には復興計画はありません。地盤沈下した地域とやや似ていますが、汚染地域では強制的に居住権を奪われました。

高濃度に汚染された地域は、長期帰還困難区域(数十年程度戻ることができない可能性がある地域:50ミリシーベルト以上)、居住制限区域(数年後の帰宅を目指して、除染を進める地域:20~50ミリシーベルト)、帰宅準備区域(来年の帰宅に向けて、除染やインフラ整備を進める地域:20ミリシーベルト未満)に三区分されるといいます。20ミリシーベルト/年の地での生活は不安です。福島は実験場ではありません。

高濃度に汚染された地域の外に、比較的濃度の高い地域が中通りから日光にかけて広がり、所々にホットスポットがあります。福島から遠く足柄の茶に基準越えの汚染が見つかりました。地元の米も、不合格になりました。風評被害ではなく、放射線量が測定されていない福島県産の農作物、海産物は心配です。陸上はきめ細かな汚染地図が公表されていますが、海洋汚染がどの程度なのか、情報は届きません。

復興事業を始めるのに、被災地に積み上げられている瓦礫を処理しなければなりません。被災地でのゴミ処理能力では対応できず、放射能の汚染されていない瓦礫の一部は、被災地外での処分が進められようとしています。その一方で、関東のゴミ処理施設では、処理した後に生じた高濃度な汚染物質を処分できず、施設内に保持されているという報道がありました。原発事故による被害は、多種多様です。

発災から9ヶ月経ち、雪の季節になりました。復興計画の案は次々に固められていますが、流される映像は、瓦礫の山が残る、未だに寒々とした何もない被災地然とした風景です。賃貸住宅に仮住まいの方もいれば、質の良い仮設住宅もお目見えしましたが、避難生活に変わりはありません。復興事業には時間がかかりそうです。いつまで避難生活が続くのでしょう。いつ復興し、恒久建築に住めるようになるのでしょう。

地元に戻るには職が必要です。被災後、被災地に多くの先端企業の立地があったことに驚きました。また漁業が主産業の一つである東日本北部の沿岸では、被災した港湾、漁業関連工場などの復旧が急がれます。しかし、福島では、原発事故の影響で、周囲の多くの工場が移転せざるを得ない状況に追い詰められています。福島は、独立して将来像を議論する必要がありそうです。本当に、若い人は戻ってくるのでしょうか。

被災地の条件は多様で、復興計画にも様々に工夫があったものと思われます。これから東海・東南海・南海など大震災が予想される沿岸地域の条件は更に多様です。その沿岸部には原発が立地しています。仮に津波被害を受けた地域=浸水予想区域を無人化する、或いは嵩上げして同等の災害から守るという条件で復興事業を事前に計画するとしたら、今回の被災地以外の浸水予想区域ではどのような制限をかけるべきなのでしょうか。


復興計画から取り残される人災 [震災の風景その2]

今年東日本を襲った地震、津波による災害で様々なことが問われ、年末に近く、復興庁が設置されることが決まった。私には、未来が見えない、人災によるもう一つの被災地であるが、復興計画から取り残される福島の課題がつきまとう。

東日本の復興のニュースには地域的な温度差がある。巨額の事業費を条件にした、各市町村の復興計画が徐々に出揃いつつあるようだが、未だに瓦礫処理の遅れが伝えられる地域もあるし、計画の合意のために必要な権利関係者との接触が難しいといった報道もある。

それとは別に、福島、原発・放射線量関連のニュース、東電のニュースはその度に人を滅入らせる。ホットスポットが各所にあり、東北南部から関東北部にかけて広域に広がった、公表された文科省による放射能汚染の分布図は衝撃を与えた。
今まで余りに隠し事が多かったせいか、本当にそうなのかが信じられず、新たに流される情報に疑心暗鬼になる。空気中だけでなく、海洋汚染や地下水汚染をどうやって量るのか。魚は本当に安全なのか。
メルトスルーし、格納器の底部を侵食した結果、残るコンクリートの厚さに危うさを覚える。これも危機一髪の状況だったし、これからも危険が付きまとう。
そしてゴルフ場からの訴えに対して、飛び散った放射線は東電の所有物ではないから除染義務は無いという、事故に対する反省、企業としての倫理性を全く感じられない論理に苛立つ。

また、首相が菅から野田に移行して以降、政治の場で脱原発の議論が棚上げにされ始めた印象が強い。原発事故後になされた電力供給の見直しにおいて、他のエネルギー源と比べて原子力が最も安価であることが堂々と報道される。原発の再稼動や輸出の動きが報道される。
地震・津波によってダメージを受け、炉心溶融を起こした福島第一原発の廃炉という現実が突きつけられていながら、核燃料の最終処分をどうするか、未だに明らかにされていない。
そのような、危険極まりない、持続性がない原子力政策は支持されるはずがないと思っていても、経済界との繋がり、電力利権を大切にする永田町・霞ヶ関の考え方は違う。

福島での復興は直接的な震災の被災地だけでなく、原発事故による二次的な被災地が重く圧し掛かる。ダブルパンチを受けた地域は、津波による被災そのままの状態で放置されている。ひょっとすると、廃炉のためにかかる30年以上そのままかもしれない。その間に放射性物質の最終処分場が決まらないとすると、事故現場が最終処分場となる。
放射能汚染による二次的な被災地の内、警戒区域では、人影はないものの、生活の空間がそのまま残され、農地は雑草地に代わり、野生化した家畜や猿・鹿・猪が闊歩する。長く放置すれば、森に戻るかもしれない。そしてその外側で、米が汚染され出荷停止が相次いでいる。

11月17日時点で避難者数の合計は約33万人である。そして県外への避難は、福島県では全避難者数94千人の内59千人と6割以上を占めている。宮城県と岩手県の合計1万人に比べて圧倒的に多い。間接的な避難者の数が入っているかどうかは分からないが、警戒区域など高濃度汚染のために強制的に避難を余儀なくされた人たちだけでなく、放射能被害から身を守るために引越しを選んだ人は結構いるはずだ。そして放射能汚染を避難の原因とした人たちは、汚染が解消しない限り元の地域に戻ってはこない。
福島大のアンケートによれば、2年以上待てる人は1/4に過ぎない。人口減少といった生易しい表現ではなく、高濃度に汚染された地域では人が居なくなるのだ。

事故原発の廃炉化には30年ほどの時間を必要とするという。30年後、現在の高濃度汚染地域の放射線量は半減するのがよいところだ。それでも十分に高い汚染濃度である。
除染は生活の場ではなされるだろうが、森林は対象外になり、放射能は雨のたびに除染した場に運び込まれる。そのような場に戻って力を合わせて復興しようとは、私の口からは出てこない。若い人、特に幼児や小学生には、計画的に疎開して欲しいと思う。悔しいことだが、戻る人のあてのない被災地では、どのような未来図であっても絵に描いた餅である。

他所の地域での生活を選ぶ戻らない人たちにとって、高濃度に汚染された被災地は次の生活のために処分する所有物である。しかし、危険区域など、この先何十年もの間、農作物の生産はおろか、人が住んではいけない土地は、どのような値が付けられるのだろう。

戻りたくとも戻れない人たちに、どのような言葉を発することが可能だろうか。故郷は見えない放射能で汚染され、戻るべき土地の産業は喪失している。人口が大幅に減少する故郷での復興は、以前住んでいた地域では必ずしもなく、拠点となる地区の除染計画とともに作られていく。初めに戻る拠点を元に、少しずつ生活の場が広がっていくのだろう。その合意形成が難しい。

福島の障壁 [震災の風景その2]

なぜか福島の情報から離れられない。

福島原発事故のため警戒区域などに指定され、避難を余儀なくされた双葉郡8町村に対する福島大学によるアンケートの結果が11月9日の紙上に紹介された。
毎日新聞では『元の居住地へ戻る意思を聞いたところ26.9%が「戻る気はない」と答えた。年代別では、34歳以下が52.3%、80歳以上で13.1%だった。戻らない理由(複数回答)としては「除染が困難」83.1%、「国の安全宣言レベルが信用できない」65.7%、「事故収束に期待できない」61.3%。放射能汚染への不安の大きさが改めて示された。』
『戻る意思がある人でも、待つことのできる期間は「1~2年」と答えた人が37.4%で、「1年以内」とした人も含めると50.3%となった。「いつまででも待つ」と答えた人は14.6%にとどまった。ただ、世代別では「いつまででも待つ」と答えた人が34歳以下で24.5%となり、世代が上がるごとに割合は低くなった。若い世代では戻る意思を持てない人が多い一方、「いつまででも」帰還を待つ人も多く、二極分化の傾向がうかがえた。』
『今後の生活で困っていること(複数回答)を尋ねたところ、「避難の期間が分からない」という人が57.8%、「今後の住居、移動先のめどが立たない」が49.3%と見通しが立たないことを挙げた人が多かった。』と報じている。

若い層の半数が、元住んでいたところに戻る気はないと答えている。原発周辺の避難地域での復興において、人口減少だけでなく、高齢化が一段と進むことになる。
2年間待つことはできないと避難者の半数の方が答えたというが、2年間でどの程度除染されるのだろうか。国が責任をもつとしている年20ミリシーベルト以上であっても、広範囲にわたり、除染作業は容易ではない。まして生活への支障がないとされる、目標とする1ミリシーベルト以下にするのに数十年かかる可能性が強い。しかも100兆円ともいわれる除染費用は尋常ではない。マイナスをゼロに戻すことすらできない。

住宅の除染は容易ではないことが分かってきた。庭は、植木類を全て取り払い、土を入れ替えれば、一定の除染効果が見込まれるが、屋根瓦の小さな凸凹の穴に吸着した汚染物質は、高圧洗浄では取りきれず、瓦を取り替えない限り、高濃度のまま住宅の内部を汚染し続ける。コンクリートへの吸着も同様のようだ。時間が経つほどに、除染が難しくなる。里山や林に近い宅地では、木々に吸着した放射性物質が風によって拡散し、また雨のたびに流れ出て、高濃度汚染が続くことも分かってきた。

11.17福島市の新米から基準値(1kg当り500ベクレル)を超えるセシウム(630ベクレル)が検出された。それでも、この程度であれば毎日汚染された白米を食べても安全だとコメントする専門家がいる。守るべき安全基準とは何なのだろう。果物は風評被害により既に市場で痛めつけられていた。福島県産の農産物は大打撃を受けている。
爆発で大気中に放出された放射能は10日間で世界一周し、そのうちの半分以上は海に落下したとのことだ。海洋汚染は、原発から直接海に放出された汚染水の分ばかりでなく、汚染された大気が海に降る分も加算される。高濃度に汚染された近海、福島沖の漁業は残念ながら壊滅する。陸だけでなく、海にも戻れないのだ。
そして東北の、特に福島の観光客が激減していることが、報道された。客が居ない宿泊地だけでなく、桃、葡萄などの観光果樹園の閑散とした映像が映し出される。
放射能汚染のために避難せざるを得なかった人たちは、戻りたくとも、戻ることができないのだ。戻る目途がつかない以上、復興は諦めざるを得ないように思われる。

建築家坂茂氏が避難場所のイメージを変えた。待つことが出来る期間を2年ではなく、3年に延ばすには、避難場所の環境が重要な意味を有する。
阪神淡路大震災の際に紙で造られた鷹取教会は記憶がある。その彼が東日本大震災で、避難所のカーテンによる間仕切りを具体化させ、3階建ての仮設集合住宅作りを提案していた。それは斬新な計画というよりも、避難している先で、身をもって経験した必要性から出てきたアイデアである。避難所でのプライバシー、余りに貧困な仮設住宅の仕様、急を要する建築、その点を解決し、共同で住むことを解くことが、課題だったのだろう。

復興の計画について2 [震災の風景その2]

高台移転を条件とした南三陸町では、復興計画が50年以上分の予算額に匹敵する事業になるという報道があった。また復興事業費の6%の市町村負担すら困難だから、全額国の負担になったとの報道もあった。
東日本大震災の地方負担が無い復興事業において、この際だから盛り込めるものは計画に盛り込もうといったモラルハザード的な対応や、莫大な土木事業費を筆頭に様々な公的支援の下での復興事業を当てにした復興特需を、私としては歓迎する気にはならない。

被災地・民の手が届く復興が、取り組みの主体を明確にする。市町村自体が被災し、財政的にも、人的にも自立が難しい状況で、国等から与えられた将来像ではなく、従前の状態に匹敵する生業や繋がりの回復など、自前の将来像を掲げて復興の道筋を考えるには、どのようにしたらよいのだろう。各個人の建築費は被災者負担とするなど、一定の自己負担を想定してはいる。しかし仕事がなく、収入が途絶えた被災者には自分の家の建築費の負担すら難しく、多くの場合、公的住宅の提供が必要となろう。
高台移転や地盤のかさ上げなどの大規模な土木事業を入れた復興計画の実現性は、どこまで国が援助できるのかにかかっている。そのため、地元の意向は事業費用を捻出する中央の意志に合わせざるを得ない。このことは、他に新たな巨大震災がおきる、或いは財政危機が深刻化するなど、今回の東日本の被災に対する国民の心情が弱まったときに、復興への道は閉ざされる危険性を抱えることになる。
円高不況や国の財政難を背景に、膨大な復興費を捻出し続けるのは簡単ではない。復興債は25年償還とされたが、次世代の負担ともなるその長きにわたって、復興全てを優先的に国が担い続けることに、国民的な合意ができているとは思えない。

また津波に対する防衛策とばかりに、復興計画において、今回の津波に抗することができる高さの防潮堤と地盤のかさ上げの組み合わせによる対応策が検討された地域があるとのことだ。その巨大な防潮堤計画に対して、地元からは、今までの生活の基盤であった市街地と海との一体性がなくなる、景観が壊されて観光への影響も出てくるといった意見も出ているという。千年に一度の津波被害に対抗できるハード対策を計画の前提とするか否かは、根底的に問われなければならない点だ。
10mの防潮堤を設けた田老でも津波被害は防げず、町が壊滅するほどの大きな被害を受けた。防潮堤に対する信頼が逆目になり、避難が遅れたとも指摘されている。

民活のために様々な規制緩和措置が可能となる特区制度の活用も取り上げられている。
10.08の日経新聞によれば、復興特区制度の概要は次のとおり。 ○復興特別区域の指定:・対象は東日本大震災で一定の被害が発生した200超の地方公共団体・地方公共団体が復興計画を作成、国に認定を受ける ○特区の特例措置:・規制と手続き(企業の漁業参入、バイオマスエネルギー施設開発)・土地利用(都市計画手続きワンストップ処理、農地転用の規制緩和)・法人税減税、利子補給など ○国と地方の協議会設置:自治体から国に支援措置を提案 ○復興交付金の創設:自治体が自由に使える資金を交付
関税を初めとする規制を撤廃し、交易を拡大することを目的としたTPP(環太平洋経済連携協定)が話題をさらっている。小泉政権下、日本に本格的な格差を持ち込んだ新自由主義への怖れが慎重派に力を与えている。過度な支援だけでなく、過度な規制緩和は毒薬になりかねない。

被災地は、先端技術を持つ企業が多く立地していたことが、震災後の様々な工業生産の供給不足から判明した。(バンコクの水害で、日本企業の打撃が報じられ、進出状況が分かったのと同様である。)
震災後、不景気なことに輪をかけて、東日本での企業倒産も多い。震災前と同じ職が得られるのであれば、被災地に戻っても先行きは一安心である。しかし、港湾や冷凍施設などの破損による水産業を初めとして、地場産業は大きな痛手を受けた。
自分のストックを震災で失い、職も奪われた人たちが避難先から地域に戻ったとき、何を糧に生きていくのだろう。蓄えがなく、職も無いために、仮設住宅に移れず、ホームレスになる被災者の姿が報じられた。
戻るための条件は、放射能汚染の心配がない場合であっても、地域に職があること、住まいがあることだ。当初の飯の種は復興関連事業だろうが、永続的に生活をするための職をどう確保するのか。当面は他力復興であっても、いつの日か、自力復興を必要とする。


復興の計画について1 [震災の風景その2]

原発事故の影響を受けなかった被災地が復興するのは何年後が目途になるのだろうか。津波による被災と、地盤液状化による被災とでは対処の方法が異なる。地盤沈下の問題もあるが、発生した場所を考慮すると、津波による被災の中に含めて良い。
また同じ被災地であっても、市街地が全域津波被害を受けた場合と、一部津波被害を受けたが受けなかった地区も存在している場合では、復興のイメージは異なる。また高台移転の可否など、地形条件によって復興計画は変化する。

東日本大震災の特徴の一つであった津波被害は大きく、沿岸の平地部の集落・市街地は壊滅し、田園地帯も見渡す限り海水に浸った。陸前高田市で津波の到達点を桜で表現するという桜ライン311は、災害の記憶の表現として卓越した方法である。

復興計画において、この津波と同程度の被害を想定するか否かで、計画条件は大きく異なることになる。
最大遡上高が宮古市の40mという今回の津波による被害の大きさ、例えば10mの高さの二重の防潮堤を築いた田老町が壊滅したこと、陸前高田の千本松原が一本を残し倒壊したこと、平地部では津波が何もかも押し流したこと、船が陸地の奥深くまで運び上げられたことなどは、その象徴であるし、現在被災地にうずたかく積まれ、3年は処理でかかるであろう瓦礫の多さはその被害の大きさを物語る。
その津波の大きさに対抗できる計画を立てようとすれば、被害を被った沿岸の平地部で住まうことを放棄することから始めなければならなくなる。

被災した三陸の沿岸地域での今までの人口推移は、ほぼ10年で10%の減少であった。復興に、仮に10年かかるとすれば、現在よりも10%少ない人口が復興した市町村に戻ると仮定されるから、計画規模は当初から10%小さくしておくことが必要になる。しかし、その10年後は更に10%縮小するから、今から10年後を目途に立てられた計画はその分だけ過剰になる。
その過剰になる部分をどう活用していけるかが、計画を立てる際に答を出しておく必要がある点である。日々の生活の利便性の確保や土地・施設の共同利用の工夫、相互扶助の仕組みなどにより、人口が縮減しても、社会の持続性を損なわないような計画である。

人口の減少だけでなく、現在よりも更に少子高齢化が進み、被災地の多くの市町村で準限界の値に近づく。市町村からの転出者は、他の地域でも職がある比較的齢が下の層であり、主として高齢者が被災した地元に残ることになるから少子高齢化の速度は今まで以上になろう。
特に高齢化が進んでいた三陸沿岸の漁業中心の集落では、限界集落に至る可能性は高い。限界集落は残念ながら消滅する運命の入口である。地域間連携やコミュニティの再編などによって、限界集落への道筋を避けることも、計画上重要な課題である。

さて、限界集落を抱え、全体でも、社会生活・機能の更新もままならない、持続自体が問われる市町村に対して、復興するに際しての計画規模をどう設定し、どのような手を差し伸べるべきなのだろう。復興後も、少子高齢化・人口減少は止まないとの条件で、復興計画で適正規模をどのように想定すればよいか、難しい。
それはおそらく旧来の祭事、学校区、医療・福祉サービス圏、更に商圏など、基礎的なコミュニティの存続に関わるソフトな領域から想定される課題であり、早くとも1世代の長さ、25~30年後に限界市町村に至らない可能性を想定しながら求める規模なのだと考える。

復興しても、やがては消滅に至る限界市町村への道まっしぐらでは、計画の費用対効果は低く判定される。
限られた復興費のもとで、個々の街や集落の復興は、被害の程度と市町村の負担に応じて、効果的に設定されることになる。そのため、メンテナンス費などを考慮し、将来に負担をかけることが確実な、過剰な投資を伴う計画は慎むべきだろう。
その意味から、復興事業は全額国が負担として、全てを他力に頼るから事業が可能になる高台移転を前提とする計画にはやや首を傾げたくなる。持続するコミュニティの形成が、復興において重要な課題であるとしたら、そのインフラ全てが他力でつくられることを避けたいためだ。

復興と原発 [震災の風景その2]

福島第一原発の廃炉に30年かかるというニュースを見、核施設を廃棄するためだけの無為な時間の長さを思った。そして汚染土壌などの仮置き場は3年、中間貯蔵は30年という工程表が提示された。東日本大震災の最終段階の処理までに30年の準備期間が必要だということなのだろう。
共に、30年後には最終処分する場所と方法が決まっているという前提である。30年前、今とは全く違う世界であった。30年後の世界は予想すらできない。

震災翌日に原発が爆発した際に、北西部に高濃度汚染が広がりを見せたという、既にSPEEDIにより放射能汚染の情報を手にしていたはずの政府からなされた、当初の避難指示に大いなる疑義があることを知る。その後無人の美しい田園風景に胸が塞がれた。孫がいるせいもあり、東京の水道水の汚染は衝撃的だった。
ネット上に流れた情報が先行していたが、10月に入り、文部科学省による放射線量の予測や測定値の公開により、福島第一原発周辺だけでなく、1ミリシーベルト/年を越す比較的汚染濃度の高い区域が関東の北部に広がりを見せていることが、公の場で明らかにされた。また不安を募らせた住民自らの計測で発見されつつある高濃度に汚染されたホットスポットの存在が、東京中に広がっていることも、問題を深刻化させている。情報が公開されるに応じて、日常の生活の場が汚染されていることを多くの人が知る。

原発の爆発時に大気中にばら撒かれた放射線が、雨とともに降り注いだ栃木から群馬にかけての山間部、日光などの観光地は、これから長い間打撃を受けることになる。この山林を除染することはできない。虫のいい話しかもしれないが、原発事故後初めて雨の降った日の風配などで、仮に東京上空に高濃度な放射能の塊があったらと思うと、ぞっとする。
この事故による影響は深刻だったのだろうか、それとも許容内だったのだろうか。幼児に対する内部・外部の被曝の影響が心配だと、福島からだけでなく、関東からも西国等に脱出する子連れの人たちがいることを聞く。

福島第一原発の大事故の原因が明らかにされるにつれて、原発の安全性が問われ、浜岡原発の稼動停止が要請されたほか、定期点検中の原発の再稼動も難しくなっている。原発54基のうち40基が稼動停止の状態である。原発の稼動停止による電力供給不足に対応するため、計画停電がなされ、この夏大規模な節電がうたわれた。この冬もまた電力の供給不足に見舞われ、節電等の対策を必要とするといわれている。電力不足の宣伝の背後に、原発の再稼動が目されていることを知りながら、地元の合意は難しさを増している。

福島第一原発の事故を契機に、原発の安全性は絶対ではない、放射能の子供・将来世代への影響は甚大である、原子力は現在の人類の知では制御できない、原発労働者は過酷な労働を余儀なくされている、一度原発が事故り放射能汚染したらその影響は計り知れない、他の方法より安価だといわれてきた原発による電力供給は処理費用まで考えると実際には高くつく、地震列島日本に原発の立地は危険に過ぎる、自然エネルギーの方が持続性に優れているなど、様々な視点から脱原発の声が聞こえてくる。
電力会社を中心とする産官学の原子力村がやっと槍玉にあげられるようになった。

9月19日、東京での「さようなら原発」の集会とデモに5~6万人が集まった。今も「原発いらない全国の女たちアクション」が動いている。将来世代に災いの種を残すわけにはいかないから、先ずは脱原発なのだ。

首相が浜岡原発を停止させた菅から原発擁護派である野田に移行し、脱原発に向けての政府対応は弱まったものの、停止している原発の再稼動に向けての動きは鈍いままである。ストレステストのせいではなく、直接的な影響が心配される原発30km圏の周辺市町村の反発が相次いでいるためだ。
また九州電力で玄海原発再稼動に関する現地説明で、佐賀県知事からの要請をもとに、やらせメールがあったとした、第三者委員会の報告があったが、その報告を無視した九州電力に対して、経産相がクレームをつけるといった事件が生じた。第三者委員会は報告書を提出した段階で解散しており、既に権限のない元委員長の発言を聞く耳は持たないとした強かな社長の記者会見を覚えている。電力会社の名で、長年人を支配してきた彼らは、自分にたてつく人たちがいるということを理解できないのだろう。

復興と原発被災地 [震災の風景その2]

復興計画ができ、予算が付けば、復興事業がスタートするが、その段取りの初めに、瓦礫処理が必要である。焼却・最終処分場・リサイクルに分別されていても、被災地にうずたかく積まれた瓦礫の山は気持ちを萎えさせる。埋め立てか盛土か、復興計画に従って瓦礫も復興用の材料の一部になる。但し、放射線量が高い瓦礫はそのまま放置される。

東日本大震災において被災地の特徴は三通りある。大地震に伴う津波による被災地、地盤液状化による被災地、及び原発事故に伴う放射能汚染による被災地である。大地震の直接の影響と、間接的な影響に分類すれば二通りである。

残念ながら原発事故の影響が無視できない高濃度汚染区域での復興は、期間が想定できない。津波被災にあっていなくとも、原発被災地である警戒区域・計画的避難区域では数十年帰ることはできないと予想される。それは高齢者にとって残された一生の時間である。

20~30km圏に設定されていた緊急時避難区域が9月末に解除され、居住可能地域とされ、住民が帰宅し始めたが、1ミリシーベルト/年を最大値とする安心できる生活のためには、先ず生活空間の除染が必要である。放射性物質の半減期を考慮すると、現在の放射線量が半分になるのに5~6年はかかると言われている。福島の中通から栃木、群馬の山林域を中心に広がる、現在の濃度0.2~0.5マイクロシーベルト/hの範囲では、安心して日常的な生活が営まれていくには、最低でもその程度の時間がかかることになろう。原発事故の深刻な影響を受けている0.5マイクロシーベルト/hを越す地域では、年20ミリシーベルト(平均2マイクロシーベルト/h)とする暫定の基準値から、居住可能といわれても、公共施設だけでなく、日々の生活空間における除染は必要であるし、安心できる生活のためには更に長い年月を必要とする。しかし、一度故郷を離れ、他の地域で新たな職を見つけ、生活し始めると、それだけの年月を、待ち、故郷に戻る意思を持続することは難しい。

被災地からの大文字焼き用の木材、花火など、放射能を理由に西国で受け入れを拒まれた。
また放射能汚染物質の県外移出は禁止されるためだろう、福島県にとどまらず、8都県で汚染物質の中間貯蔵施設の設置を必要とする旨が通知された。中間貯蔵施設は、そのまま放置されて最終処分場になる可能性が否定できない。現在穴を掘って埋めているようだが、除染作業に伴って発生する汚染土砂をどこに捨てるかは、復興期の課題として残る。
福島県外でも、一般ゴミの焼却灰や下水処理後の汚泥で高濃度汚染が報告されていることは、放射能汚染が首都圏において広く及んでいることを物語る。現在焼却場などの一角に置かれている汚染ゴミが満杯になったとき、どこに置かれるのか、十分な監視が必要である。これから落ち葉の季節である。汚染された葉をどう処理するのか頭が痛い。今年の腐葉土は使い物になるまい。

お茶と茸の汚染が広範囲にわたっている。風評被害か、福島県産の果物や野菜は、基準値を満たしていても市場に出ないでいるか、安価で店先に並ぶ。風評被害というが、的確な情報を出さずにいたことは風評を強めた対応だったし、何よりも東電の対応のひどさもあり、放射能汚染の情報に関して消費者の信頼を失したことが大きい。幸いなことに、今年の福島県産の米は基準値以内であり出荷可能と判定されたが、福島産ということで、そう簡単には店先に並ばない可能性が高い。
また放射能に汚染された動物は、牛や馬、ブタなどの家畜だけではない。福島第一原発からの汚染水による海洋汚染も厳しく、福島沖の水産業の目途も立ってはいない。畜産、農業、漁業、福島県ではいずれも原発事故により大打撃を被り、被災が継続している状況である。林業への影響もあるだろう。

被災地に戻れても、以前からの職がなく、高濃度な放射能汚染と合わせて、生活の基盤を二重、三重に奪われている。見えない放射能が壁となる原発被災地での復興とはどのような姿を言うのだろうか。放射能汚染の付けは根が深そうである。

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