今日の理についてのノート その4 [理のノート]
2.我が国の近代の合理主義とは何だったのか
供給社会から消費社会への移行期、財政破綻を避けるために構造改革が叫ばれ、我が国の経済成長を特徴づけた、官僚主導の計画的経済、行政を核とした民主主義に至ったシステムや、一律型、総合型、計画型の単純系の方法論に疑問符がつけられている。超高齢社会、人口減少時代に入り、多様な主権者による民主主義のありようが問われている。
2.1近代に持続する日本型の合意形成
信用の基礎である契約と、社会的な異義申立の手段である訴訟という自由な存在である個人に帰属する権利の概念が希薄なまま、日本は国の近代化を進めた。
フランス革命が生んだ個人主義ではなく、殖民支配を展開していた列強と肩を並べるために、国家の体裁を整えることを優先した、集団主義的な富国強兵がその近代化の中身を象徴する。
その中で持続したのは、お上による支配が末端まで浸透する、滅私奉公を強要した村的なシステムである。上意下達というよりも、お上の思惑をおもんぱかり、自主規制によって、曖昧な思惑を受け入れる和による合意の構造である。それは、嘗ての天皇制の中だけでなく、戦後のレッドパージでも、最近頭をもたげ出している新ナショナリズムの中でも見受けられる。
対立や議論を通した納得ではなく、和することで了解し合う根回しという、特異な合意形成の仕組みを有している我が国の社会システムは、行政に公共の多くを委譲した時代では有効であったが、政治の意思決定のために、アカウンタビリティを必要とする社会には大きな障壁として現れる。
しかし他方、バブルの崩壊後の自信の喪失を背景にしてなのか、新たなナショナリズムの浸透が、国の教育だけでなく、地域社会で生じ始めている。また、憲法に抵触する首相の靖国詣では、法的な尺度としてではなく、心の問題として評価軸が与えられる。どう見ても、議論の場が違うのに、論理と感情が同じ土俵で論じられ、評価が下される。靖国参拝に関して、小泉首相に対しては賛成・反対が拮抗していたのに、次期首相に対しては反対が大きく上回る。
今般の政権交代によって登場した民主党が掲げている方向転換、公共事業から生活福祉へ、官僚主導から政治家主導へという舵取りが成功するかどうか不明であるが、総選挙による民意を背景に、長期政権のしがらみを崩し、議会制民主主義に立脚しようとしていることは新たな目である。何よりも、透明性を高めるために情報公開と事業評価を取り上げ、事業仕分けによって実践しているのは評価できる。
2.2 21世紀初頭の状況
情報革命が進展している21世紀の初頭、グローバリゼーションに洗われ、自給ではなく、世界からの供給を前に、消費に主役が変更し出した時代、今まで国境を境に、進歩を是とした考え方、豊かさの実現のため、合目的的な方法としてきた様々なことが行き詰まりを見せている。
この時代に生じる制度の破綻は、近代が得た最大の知の成果である合理主義に基づいた体系(=人間中心主義の正統化、機能・効率主義、総和での評価、計画優先の予算主義、ツールとしての行政システム、既得権の集積であるヒエラルキー)が、時代に合わなくなった結果である。
その対案として、環境の持続性を考慮し、循環型の社会を構築するため、人が息する時間に合わせた、身の丈にあったスローの発想が生まれだしている。
しかし一方で、グローバリゼーションの波に乗り遅れまいと、規制緩和を推し進め、市場優先の新自由主義が席捲し、過去の官主導の制度の破綻を声高に標榜した。デフレ寸前の経済回復を図るため、旧来のシステムを規制=民間の自由の束縛であるとして葬り去ることに急で、リストラを断行し、平等社会を捨て、格差社会を是認した。
この不況下において格差社会が解消される可能性は乏しいが、今回の政権交代は、拝金主義の市場優先の新自由主義がもたらした閉塞感への叛旗の表明だったとも言える。
供給社会から消費社会への移行期、財政破綻を避けるために構造改革が叫ばれ、我が国の経済成長を特徴づけた、官僚主導の計画的経済、行政を核とした民主主義に至ったシステムや、一律型、総合型、計画型の単純系の方法論に疑問符がつけられている。超高齢社会、人口減少時代に入り、多様な主権者による民主主義のありようが問われている。
2.1近代に持続する日本型の合意形成
信用の基礎である契約と、社会的な異義申立の手段である訴訟という自由な存在である個人に帰属する権利の概念が希薄なまま、日本は国の近代化を進めた。
フランス革命が生んだ個人主義ではなく、殖民支配を展開していた列強と肩を並べるために、国家の体裁を整えることを優先した、集団主義的な富国強兵がその近代化の中身を象徴する。
その中で持続したのは、お上による支配が末端まで浸透する、滅私奉公を強要した村的なシステムである。上意下達というよりも、お上の思惑をおもんぱかり、自主規制によって、曖昧な思惑を受け入れる和による合意の構造である。それは、嘗ての天皇制の中だけでなく、戦後のレッドパージでも、最近頭をもたげ出している新ナショナリズムの中でも見受けられる。
対立や議論を通した納得ではなく、和することで了解し合う根回しという、特異な合意形成の仕組みを有している我が国の社会システムは、行政に公共の多くを委譲した時代では有効であったが、政治の意思決定のために、アカウンタビリティを必要とする社会には大きな障壁として現れる。
しかし他方、バブルの崩壊後の自信の喪失を背景にしてなのか、新たなナショナリズムの浸透が、国の教育だけでなく、地域社会で生じ始めている。また、憲法に抵触する首相の靖国詣では、法的な尺度としてではなく、心の問題として評価軸が与えられる。どう見ても、議論の場が違うのに、論理と感情が同じ土俵で論じられ、評価が下される。靖国参拝に関して、小泉首相に対しては賛成・反対が拮抗していたのに、次期首相に対しては反対が大きく上回る。
今般の政権交代によって登場した民主党が掲げている方向転換、公共事業から生活福祉へ、官僚主導から政治家主導へという舵取りが成功するかどうか不明であるが、総選挙による民意を背景に、長期政権のしがらみを崩し、議会制民主主義に立脚しようとしていることは新たな目である。何よりも、透明性を高めるために情報公開と事業評価を取り上げ、事業仕分けによって実践しているのは評価できる。
2.2 21世紀初頭の状況
情報革命が進展している21世紀の初頭、グローバリゼーションに洗われ、自給ではなく、世界からの供給を前に、消費に主役が変更し出した時代、今まで国境を境に、進歩を是とした考え方、豊かさの実現のため、合目的的な方法としてきた様々なことが行き詰まりを見せている。
この時代に生じる制度の破綻は、近代が得た最大の知の成果である合理主義に基づいた体系(=人間中心主義の正統化、機能・効率主義、総和での評価、計画優先の予算主義、ツールとしての行政システム、既得権の集積であるヒエラルキー)が、時代に合わなくなった結果である。
その対案として、環境の持続性を考慮し、循環型の社会を構築するため、人が息する時間に合わせた、身の丈にあったスローの発想が生まれだしている。
しかし一方で、グローバリゼーションの波に乗り遅れまいと、規制緩和を推し進め、市場優先の新自由主義が席捲し、過去の官主導の制度の破綻を声高に標榜した。デフレ寸前の経済回復を図るため、旧来のシステムを規制=民間の自由の束縛であるとして葬り去ることに急で、リストラを断行し、平等社会を捨て、格差社会を是認した。
この不況下において格差社会が解消される可能性は乏しいが、今回の政権交代は、拝金主義の市場優先の新自由主義がもたらした閉塞感への叛旗の表明だったとも言える。
2009-11-24 15:09
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