帰村と50年後のことなど [震災の風景その2]
復興は人の手による。復興に関わる失敗、例えば復興の遅れにとどまらず、住民の合意のない計画、採算の取れない施設計画、地域医療の不備、地場産業の喪失などは、原因が何であろうと、人災である。
特に問題となる復興自体の遅れは、福島では原発事故の後遺症、他の地域では復興計画の合意の遅れ、瓦礫の処理の難しさ、産業の空洞化による働き口の減少などに起因する。瓦礫処理は被災地にあって自前では不可能であるが、救いの手を伸ばすべき多くの市町村が、放射能汚染を忌避する住民の反対により受け入れができない状況にある。その報道は、この夏の京都の大文字焼きを思い出させる。この遅れによって、地元に戻る目途が立たない事態として被災者に圧し掛かり、徐々に戻らないことの選択を増やしていき、被災地の将来の可能性が狭められていく。どのくらいの時間なら我慢ができるのだろう。
長期化する避難生活は、非日常ではなく、日常に変わる。出来上がった地区から、移転可能者が五月雨式に戻り、復興が進んでいく可能性が増している。しかし、仕事場と生活、商店と住宅が一体的に復帰しなければ、元の地域での生活はうまく回転していかない。
復興計画において不可欠である50年後の被災地の姿を想定してみよう。
千年に一度の災害に対応する計画は、膨大な事業予算を投じる国の意向を反映させるために、上意下達の意思決定が必要であり、人々の営みを通した自然形成的な形を持たない。
このままでは、50年後、海と陸は高い堤防によって切り離され、美しい三陸海岸を楽しみに来ていた観光客が来なくなる。復興に時間がかかり、若い人たちが戻ることを選ばなかった被災地では、人口が激減し、小集落は廃村となり、市街地であっても高齢者だけが住む限界集落が、高台のあちこちに分布し、静かに消失を待っている。福島では、高濃度に汚染された放射線量が期待ほどに下がらず、半減期を過ぎても、ついに戻ることができなかった地域があった。その地域はそのまま放置され、畑は森になった。汚染水が流され続けたため、福島の漁業は、未だに制約を受けている。第一原発は廃炉一歩手前に漕ぎ着けたが、そのままの状態で放置され、最終処分場扱いとなった。放射能に汚染された物・汚染土もどこにも持っていけずに、集約された中間貯蔵施設は、最終処分場に変わっていく。
経済が下降線を描き続け、貧困問題が格差社会の進行のもとで顕わになり、人口減少が始まったときに襲った大震災である。このような悪夢を避けるにはどうしたらよいのだろう。日常の生業を大切にした復興計画ができて欲しい。
膨大な復興財源の投入により、復興バブルともいえる現象が土建業において始まっているという。受注した巨額の事業を下請けに出し、その上前をはね、利益を吸い上げるのは、元請になるスーパーゼネコン各社だ。
被災地で先行する公共投資が、何年かかるか、そしてどの程度の予算がかかるか分からない、何も生産しない除染の作業である。目標値も設定できない、放射線量を下げるだけの除染事業を果たして復興事業というのだろうか。除染といっても、放射線物質を他に移動させるという方法で、除染作業を行った地点の放射線量を低減するに過ぎない。水によって除染すれば、その水が流れていく先の河川であり、海が汚染されていく。草木を切り取れば、その捨て場の汚染度が高くなる。そして雨が降れば、山林から汚染された葉や土が流れてきて、放射線量を上げる。
この除染事業を公共事業に位置づける件が象徴しているのが、一つは東日本大震災における人災の大きさと、原因者である福島第一原発・東電の責任範囲の曖昧さが招く公共部門への責任転換である。そのため、現在、除染活動もせず、対応に誠実さが見えない東電による電気料金の値上げが問題視されている。それは、公務員・議員の痛みを避けて増税議論をする現政権と同じ、不信を増大させる構図である。
もう一つが、復興を通じての財源の地元への還元の少なさである。大盤振る舞いされる復興事業の主体は、多くは東京に本社を置く企業である。地元は良くて下請けで、通常は労務提供者になる。復興に投じられる費用は、地元で回転していかないのだ。地元住民は復興主体から降ろされ、計画への参加を認められないまま、黙って復興を見守る。
特に問題となる復興自体の遅れは、福島では原発事故の後遺症、他の地域では復興計画の合意の遅れ、瓦礫の処理の難しさ、産業の空洞化による働き口の減少などに起因する。瓦礫処理は被災地にあって自前では不可能であるが、救いの手を伸ばすべき多くの市町村が、放射能汚染を忌避する住民の反対により受け入れができない状況にある。その報道は、この夏の京都の大文字焼きを思い出させる。この遅れによって、地元に戻る目途が立たない事態として被災者に圧し掛かり、徐々に戻らないことの選択を増やしていき、被災地の将来の可能性が狭められていく。どのくらいの時間なら我慢ができるのだろう。
長期化する避難生活は、非日常ではなく、日常に変わる。出来上がった地区から、移転可能者が五月雨式に戻り、復興が進んでいく可能性が増している。しかし、仕事場と生活、商店と住宅が一体的に復帰しなければ、元の地域での生活はうまく回転していかない。
復興計画において不可欠である50年後の被災地の姿を想定してみよう。
千年に一度の災害に対応する計画は、膨大な事業予算を投じる国の意向を反映させるために、上意下達の意思決定が必要であり、人々の営みを通した自然形成的な形を持たない。
このままでは、50年後、海と陸は高い堤防によって切り離され、美しい三陸海岸を楽しみに来ていた観光客が来なくなる。復興に時間がかかり、若い人たちが戻ることを選ばなかった被災地では、人口が激減し、小集落は廃村となり、市街地であっても高齢者だけが住む限界集落が、高台のあちこちに分布し、静かに消失を待っている。福島では、高濃度に汚染された放射線量が期待ほどに下がらず、半減期を過ぎても、ついに戻ることができなかった地域があった。その地域はそのまま放置され、畑は森になった。汚染水が流され続けたため、福島の漁業は、未だに制約を受けている。第一原発は廃炉一歩手前に漕ぎ着けたが、そのままの状態で放置され、最終処分場扱いとなった。放射能に汚染された物・汚染土もどこにも持っていけずに、集約された中間貯蔵施設は、最終処分場に変わっていく。
経済が下降線を描き続け、貧困問題が格差社会の進行のもとで顕わになり、人口減少が始まったときに襲った大震災である。このような悪夢を避けるにはどうしたらよいのだろう。日常の生業を大切にした復興計画ができて欲しい。
膨大な復興財源の投入により、復興バブルともいえる現象が土建業において始まっているという。受注した巨額の事業を下請けに出し、その上前をはね、利益を吸い上げるのは、元請になるスーパーゼネコン各社だ。
被災地で先行する公共投資が、何年かかるか、そしてどの程度の予算がかかるか分からない、何も生産しない除染の作業である。目標値も設定できない、放射線量を下げるだけの除染事業を果たして復興事業というのだろうか。除染といっても、放射線物質を他に移動させるという方法で、除染作業を行った地点の放射線量を低減するに過ぎない。水によって除染すれば、その水が流れていく先の河川であり、海が汚染されていく。草木を切り取れば、その捨て場の汚染度が高くなる。そして雨が降れば、山林から汚染された葉や土が流れてきて、放射線量を上げる。
この除染事業を公共事業に位置づける件が象徴しているのが、一つは東日本大震災における人災の大きさと、原因者である福島第一原発・東電の責任範囲の曖昧さが招く公共部門への責任転換である。そのため、現在、除染活動もせず、対応に誠実さが見えない東電による電気料金の値上げが問題視されている。それは、公務員・議員の痛みを避けて増税議論をする現政権と同じ、不信を増大させる構図である。
もう一つが、復興を通じての財源の地元への還元の少なさである。大盤振る舞いされる復興事業の主体は、多くは東京に本社を置く企業である。地元は良くて下請けで、通常は労務提供者になる。復興に投じられる費用は、地元で回転していかないのだ。地元住民は復興主体から降ろされ、計画への参加を認められないまま、黙って復興を見守る。
2012-02-18 16:36
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